ウェブデザインの仕事を10月の初頭から行っているのだが、なんと大変なことか。
早く効率の良い方法を見つけてエレガントに仕事が出来るオトコになりたい。
カギはテンプレートにあると思うのだが・・・。
さて、昨日ふと思ったのだが、よくテレビなんかで(最近はめったにないが)「わいせつなDVDを大量に所持」なんかのコピーが流されることがあったが、そこでいう「大量」とは一体どれくらいの数量をさすものなのであろうか。
20本くらいか?
とりあえず10以下なら「大量」とはいえまい。
しかし、好きなエッチ女優が5人いて、それぞれ平均2本づつ持っているとして、更に「ナンパ」「企画」ものなどをあわせたら軽く二桁は超えるのではなかろうか。
あまつさえ、「シリーズもの」「ロリアニメもの」であれば三作品をコレクションしただけで20本近くなるだろう。(一作品平均5話程度として)
と、考えるとわいせつDVD20本というのは別にしきいの高い話ではなくなるような気がする。
一般家庭に普及するPCのほとんどがDVD-RWドライブ搭載であると予測され、リッピング(コピー)がちょっとした知識があれば誰でも十分に可能である現在、家庭に所持しているDVDの数は「わいせつDVD」でなければ20本は行くのではなかろうか。(韓流ドラマ・海外ドラマブームのあおりもあり)
いや、他の例を挙げるより話を「わいせつDVD大量所持」の件に戻そう。
「大量」ときいて頷ける数がまぁ仮に20本だとして、ここで「DVD20本」という物質的な形状について考えてみる。
DVD-Rは電気屋さんなんかではよく、10本組み、もしくは5本組みという形式で売られている。
もちろん1枚ごとに購入することも出来るのだが、1枚あたりの単価を抑えるため前述のようにパック型で購入するひとが多いだろう。
ということは、電気屋さんで2~3回ほどDVD-Rをかってしまえば「大量所持」というカタチになる。
では、一体どのくらいの頻度でDVD-Rは消費されているのだろうか。
僕は以前、某大手家電量販店に勤めていたのだが、10枚組みパックのDVD-Rが10~30コ程、毎週のように入荷されてくる。
つまり、その店でのDVD-R消費量は一ヶ月あたり平均800枚ほどだ。
これを一人あたり2本(=DVD-R20枚)購入するとしても、毎月40名の人間が「DVD大量所持」となる。また、一人一本(=DVD-R10枚)だとしても80名の人間が(分配しないかぎり)家庭に10枚のDVD-Rを所持することとなる。
もちろん、こんなに単純な計算ではないが、DVD-Rはコンスタントに売れるものであり、利用の方法が「映像のダビング」ではなくPCデータのバックアップのためということがむしろ大半であろう。
では、今の話で何が云いたいのかと言うと、「DVDの所持数二桁という物量は、そう珍しい光景ではない」ということだ。
「大量」という言葉の持つイメージは、総じて、常軌を逸脱している必要がある。
「大量投与」しかり「大量殺人」しかり。
「大量殺人」を例にあげれば、私なんかは3人でも「大量」だと思うのだが、戦争などでの死者数などを聞くとその数は桁いくつも跳ね上がるし、日本の古い事件なんかでは30人を超す殺人があったともいう。しかし、僕には3人も30人も「大量」だ。
「大量」とはつねに、自分の常軌に対しての、加減乗除による比較であり、数はむしろ本質的な問題ではない。
そこに数が関ってくるのは世論とリンクしたときからである。
「わいせつDVD20本」という数は、そもそも、形状からして違和感はあまりないのではないか(つまり、うすっぺらなDVD-Rのディスクが20枚積まれていたところで、先の平均消費量からしたら特別に不自然ではない)。
が、これが「うず高く積まれたわいせつビデオ20本」だとしたら、やや恐ろしい絵面になる。
形状的には「大量」という言葉への違和を感じ、数量も「大量」への違和を感じる、「わいせつDVD」というモノへつける「大量」への定義。
結局「わいせつ」という言葉が、実際の形状と実際の枚数への”増幅乗数”となっているのであり、直接な枚数も形状も関係なく、多分所持数が1枚であれ結局逃れることは出来ないのだなぁと、自分のベット下をみて思ったのであった。
あと、全く関係の無いハナシになるが、チキンラーメンに鰹節を大量に投入すると、何故かドンベエ(そば)の味になることを昨日発見した。あなどってはならぬ、ヤツ(チキンラーメン)の可能性を。
お試しあれ。