「セックスフレンド」という事柄を理解する為に、
なぜか『宮台真司』氏の著書と『木原雅子』氏の著書を合わせて数冊読むハメになっている。
個人的な意見を云わせて頂くならば、両者が同意の上で先の関係になるのであれば、僕は肯定派の立場である。
世の中には、恋愛(?)と共に、自分の夢や趣味、仕事、又は研究などを充実させたい人間も居るはずで、そのような立場の人間にとって「セックスフレンド」という関係は合理的かつ論理的であると思うからだ。
「セックスフレンド」という言葉に対する偏見を取りさり、同時に、「愛のあるセックス」という言葉の深層を探っていった時に、結局は利己としてのセックスか、慈愛・無償としてのセックスかに行き着くのだと思われる。
ともすれば、双方共に「完全」からは「欠けている」のであり、ともすれば、「価値」の付け方は人それぞれ。
つまり、其処には「選択の自由」が存在する。
以上の理由からも僕は「セックスフレンド」については(今の処)肯定派である。
また、『宮台真司』氏の『不純異性交遊マニュアル』を読んだ所感として、「愛」と「下半身」を同一として看做している事に、僕はまず疑問を感じた。(そのような読まれ方は著者の意図と反するのかもしれないが)
恋愛=セックス。もしくは、恋人=セックスという図式。
そのことこそ僕は取り除かなければならない偏見であるとも思う。
いざ。黄金の回転。「新しい道」へ逝かれよ。