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ヒューマン×ネクロロジー

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向心力

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向心力

物理関係のサイトをあさる。
入門書以外は読んだことの無い僕には、ワケのワカラナイ専門用語のデス・パレード。

あのね、ワンセグとフルセグの違いもワカラナイです。

理科のハナシで興味をそそるのは、やっぱSF的なこと。
全くフシギじゃない事柄を、フシギに説明されるより。
スコシ・フシギがディス・イズ・丁度いい。

そんなスコシ・フシギの中で、「量子論」は特に面白いと思う。
全ての物質は分子から出来ているけれど、その分子を作る”原子”に注目したとき、「世界のしくみ」はひっくり返る。
運動は小数点のない整数で表され、観測すればそのモノは観測前の状態とは別モノになってしまう。
そのような原子たちの特性は、「古典力学」では測りえない。
「古典力学」は、普段の我々や我々の身の回りのモノの運動を計測するカガクである。
つまり、「原子の世界」では、普段の我々の「世界のしくみ」が通用しないのだ。

けれど、「原子の世界」には、「原子の世界用」のルールブックがある。そのルールブックの基としてあるのが「量子論」だ。
しかし、何より怖いのは、「原子の世界」も「我々の世界」も、結局は一つの「世界」であるのに、「物質根本(原子…トップ・クォーク)」と「物質」として見た時に「しくみ」が違ってしまうことだろう。

例えば、我々は視力や触覚などの感覚を用いて、他人を認識している。
そして、認識前の他人と認識後の他人が大きく違うことは無い。
この”大きく違う”というのは「突如として消えてしまう」とかそういったことも含まれる。
他人を見ていて、目を閉じて、開いたら消えていた。なんてことは、日常ではまず無い。
しかし、”原子のしくみ”においては認識後、その存在が消えてしまうこともありうる。
というより、認識した段階で、その対象がどうなるかは、誰にもわからないのである。

そして、そんな不確定な”部品”によって、「我々の世界」は成り立っているのだ。

なんとも不気味。

そして、こんなことを知っても「だからどうした」というワケでも無いので、スコシ・フシギ・バナシとしてもディス・イズ・丁度いいホンマ。

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