音楽と、漫画と、小説と、映画とか。それらの”違い”をなんか考えていた。
主に、読者への”ハードル”についてである。
小説は読者にある程度の 理解への閾値 を求められる。と思う。
専門用語とか、文章からの想像力とか。
漫画と映画はその閾値が、絵や音楽によって補間されることで低下する。
こと、映画の音楽やキャスティングは、「読者の」というよりは「製作者」の意図を反映しやすい「ツール」ではないかと思う。
音楽が一番、「読者=聴者」への閾値が低い。
どのような思想や意図が込められていようとも、それらを「無視」し、伝えることが可能な可能性をもっている。
読者に超えなければならないハードルは(理解という定義にもよるが)ない。
しかしその後で、製作者の意図が「後付け」として加わる、ユニークさを持つ。
その意味では、「写真」も同じだ。
勿論、すべての本や映画、写真、音楽に、当てはまるとは思っていない。
写真といえば、報道写真でショッキングな写真の話を聞いた(話を聞いたというのは、実際に私が見たわけではなく、「こんな写真があるのよ」とヒトから聞いたから)。
イラク戦争を記録したものと、中国のスラム街を記録したものなのだが、ショックだったので記す。
・イラク戦争の写真①
アメリカ大使館の前を撮影したもの。
戦争の犠牲になった死体が幾重にも折り重なり、並べられている。
イラクの人々によるアメリカへの講義であるかのように、大使館に「これ見よがしに」凄然と並べられる死体。
地面に広がる血は、黒ずんではおらず、「鮮やかなピンク色」である。
死体の 新鮮さ を物語る。つまりは、死体の「生産される」スピードを物語る衝撃写真。
・中国のスラムの写真
麻薬漬けにされた人々と、「動物」の瞳孔写真。
老若男女。子供。そして、犬やサルまでも麻薬漬けにされている。とのコメント。恐ろしい。
サルは、「盗み」をさせる為に麻薬によって使役されているらしい。
衝撃的なのはその写真集の最後の一枚。
スラムをバックとして、見下ろすかのようにそびえる、富裕層が住むとおぼしき高層ビルが。
そしてコメント。
「このようなスラムは、数年後には、跡形も無く消えてしまう。」
衝撃写真。
・イラク戦争の写真②
最もショッキングだったのがコイツである。
イラク人とおぼしき少年が、笑顔で立っている写真。
しかし、彼の風貌と所持品が、笑顔の意味を硬直させる。
少年の歳はおそらく、小学校低学年くらいであろう。
ボロに素足。
口元には煙草(おそらくマリファナ)。
そして手には、マシンガン。
土煙の中、笑顔でマシンガン。
衝撃写真。