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ヒューマン×ネクロロジー

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永遠論

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永遠論

《ヘッポコ考察・永遠論》
 
仕事で軽作業を行うことがあるのだが、一人で作業を行っているときはどうしてもくだらないことを考えてしまう。
(完全に、グリア細胞内におけるミエリン下鞘とイプセトメモリアの関係性における衝撃的な事柄に感化された為だろう。あの小説は面白かった。)
イプセトメモリアから、<人間の自己・心>というものを考えて、<心はどこにあるのか?>ということを考えていたら、いつのまにか<永遠は存在するのか?>という命題に行き着いた。どのような経緯でその命題に行き着いたのか忘れてしまったので、せめて<永遠は存在するのか?>という命題に対する考え、こちらだけでも忘れないうちに記録しておこうと思う。
 
<永遠は存在するのか?>という命題に対して、まず僕は<否定派>となり一人ディベートを行った。
(なお、内容は素人考えであり、間違っている部分も多々あるかと思われます。それらについては大目に見て頂けたら幸いで御座います;)
 
まず、物質的な存在における<永遠>との関連を考えたときに、まっさきに障害となるのが<熱力学第二法則>に基づく<エントロピーの増加>である。
物質は与えられたエネルギー以上の仕事は出来ない為、いずれは朽ちてゆく。机であれ人であれ、星であれ例外はない。
 
また、マクロ世界(古典力学の範疇の世界)における物質的な存在を考えるときに、着眼しなければならないのは、<根本的な大容器としての>宇宙である。
思考を宇宙に展開すると、<永遠膨張説>と<ビッククランチ説>の二点が、命題への判断材料として思い当たる。もしも<永遠膨張説>がこの宇宙の未来だとするならば、<永遠は存在する>ということになる。
しかしながら、やはり宇宙も物質であることには変わりない為、<エントロピーの増加>からは逃れられないだろうと推測される。<永遠膨張説>は、宇宙誕生時に特異点に与えられた(?)エネルギーが、宇宙の自重による重力等の影響を振り切ってどこまでも膨張するとする説である(たしか)。
したがって、宇宙の膨張はエネルギーに依存しているのだと思われる。なんらかの事情で(それこそ膨張が原因か?)エネルギーの補填が行われるにしろ、膨張という仕事を行う為に、エネルギーが必要だ。ともすれば、宇宙はやはり<エントロピー>に捉われているといえる。
 
では何故、<永遠に膨張する>という説が支持されるのか? 当然、そのように永遠膨張する可能性もあるからである。
では、<永遠の>膨張をどうやって証明するのか? それは永遠に膨張を観測し続けることである。
ここで、<永遠>の対象は「物質的な存在」から「非物質的な存在」に移行する。
 
つまり極論、永遠とは、一定の観測結果を維持し続けることではないだろうか。
たとえば<永遠の愛>を永遠として維持し続ける為には、<愛されている>という観測を永遠に続ける必要がある。ここでいう永遠とは、たとえば人間(観測する者)の主観が途絶えるまでという意味である。
観測を永遠に続け、その結果が一定であり続ければ、永遠は存在するのだといえる。
しかし、この理屈はどちらかといえば哲学っぽいので、個人的には気に入らない。よって、なんとしてもここは否定しようと思う。
 
まず、そもそも一定の観測結果を維持し続けることは、不可能だろうと思われる。
マクロ世界はミクロ世界(原子レベル以下の世界)から出来ている。ミクロ世界ではさらに原子も粒子として分解され、関数の形で分布する存在形態となる。これを量子状態という。
量子状態は観測を行うことで、その関数が収斂し、ひとつの結果・存在としてマクロ世界へ表れる。つまり、量子状態のある部分を固定化し、マクロ世界へ「引きずり出す」ことでミクロをマクロとして「存在」させるのが、観測だ。
さて、この観測を自在に操ろうとする。
人為的・物理的な要因によって<観測結果を一定とする操作>を行う訳だ。
しかし、<観測結果を一定とする操作>もつまりはマクロ世界での行動であるため、マクロ世界のルールに制約される。前述した通り、マクロ世界での存在は例外なく<エントロピー>からは逃れることは出来ない。
単純にいうと、観測者の消滅によって、この<観測による永遠>は尽きるのである。
 
たとえば、パソコン内のデータなどの「情報」がいい例だ。
データそのものには、質量がない。したがって、<エントロピー>に干渉されることはない。
しかし、データが、文字として、絵として、または音として、ディスプレイやスピーカーから出力され、われわれに認識される際に、結果としてマクロ世界に浮上することになる。
データそのものには<エントロピー>は存在しないが、マクロ干渉したデータには<エントロピー>が付加される。データの入ったハードが壊れれば、それは消失し、文字を印刷した紙もいずれは朽ちる。
同様に、人間の感情も「怒り」「喜び」などが神経組織からのパルスと脳の情報処理によるものであるとすれば、パソコンの例と同じである。感情が電気信号だとすれば、電気信号はマクロ世界のものであるだろうからだ。
では、マクロ世界に浮上する必要のない量子状態であればどうだろう。つまり、観測されていない量子の存在である。
 
個人的には、<永遠>があるとすればこれらに備わる可能性が一番高いと思われる。
「観測されていない量子」はそれが「観測されるまで」存在し続けるものだからである。
さらに、<時空>という障害もクリアできる。量子は時空にとらわれることなく点在しているので、観測されていない量子が一瞬でも存在すれば、それは<時空>を超越した<永遠>だ。
しかし、「存在」してしまう以上、やはりこれもマクロ世界の観測結果となってしまう。
そして、これでは単なる言葉遊びで面白くない。
 
言葉遊びついでに、否定派の主張である<永遠は存在しない>という主張は<永遠>である。とすることで<永遠>の存在を主張することも可能かとも思われるが、これもまた、観測での説明がつく。
<永遠は存在しない、ということが証明された。これが永遠である>
この命題に対し、否定派が<永遠>は存在しないと立証すれば、全ての永遠が失せることになり、それは<永遠の損失>の<永遠>となる。
逆に、証明できなければ、<永遠>は存在することになる。
さて、では、このようなことを記した<瞬間>、それはどうだろうか?
時間軸が一連として流れているとするならば、その中で<行動をした>という<瞬間>は時間軸の中に刻まれる。
よく過去は改変できないというが、すなわち過去は永遠とは言えないだろうか?
しかし、これは<過去>の定義によって簡単に否定できる。<過去>を知っている全ての人、もの、それらが忘れてしまえば過去は陥落する。過去とは記憶である、とする場合だ。
また、記憶子における物理的な記憶も、熱力学の第二法則からいずれは拡散されるものであり、永遠ではない。
 
と、いうわけで<永遠>への否定は、以下の3つの方法で考えることが出来るかと思われる。
1.<熱力学の第二法則>と<エントロピー増大>による、物理的な陥落。
2.自己観測による<永遠>は、マクロ世界に表面化した時点でその可能性を失う。また、自己という存在が証明できない以上、存在するとは言い難い。(しかし、<永遠>の定義が観測者の観測時期内のみという制限に留まることで、哲学的ではあるが、可能ではある。気に食わないが。)
3.未観測の量子状態における永遠は、観測を行ったことで、「未観測」であるとの「存在」が証明される為、やはり陥落する。
 
また、これらを逆手に取ることで<永遠>を作り出すことも可能である。
<エントロピー>にとらわれず、未観測のまま、存在せず存在するもの。
たとえば目の前のコーヒーカップを隠す。極端な話、それだけで<再びカップを観測するまでの永遠>は作れる。
 
ううむ。キーは観測か?
だれか教えてくれい。
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