<本>だけ飛ばして、読み返す。怖いから。
「人獣細工」は臓器移植をモチーフに遺伝子工学の”明”と”暗”を提示してくれるオハナシらしい。
「できること」を提示することで、「やっちゃだめなこと」を提案するのはハードSFの最も良心らしい部分なんじゃないかしらと思う。
豚の臓器を移植された少女が、自分はヒトと豚の融合だと煩悶する話。
思春期の女子にとって、自分の 唾液腺が豚のものである と知ったときの”苦痛”はノレる感情だと思った。
海外ドラマ「アリー・マイ・ラブ」で、豚の臓器を移植された患者が、医師を訴えるというものがあった。
患者の言い分はこうだ。
「なんで、豚(けだもの)の臓器なんか、私に植え付けたの!!」
医師側の弁護士はこう切り替えす。
「(豚の)彼の名前は”○○(名前ド忘れ)”。貴方に命をささげたのに名前すら呼ばれもしません。貴方も法定も、彼を、けだもの、けだもの、と呼び、名前を呼ぶことは無い。彼は、
命を、ささげたのに」
せりふの内容は 超うろおぼえ だが、非常に印象に残るシーンだった。
人獣細工の場合、そのような「臓器移植」につきものである「命」に関する話題を削ぎ落として、まるでそれが警鐘であるかのように「できること」を提示しまくった点がなんとも恐かった。