某SFホラー小説の中で、(確か)”調整期間”という単語が出てくる。
新しい主軸が生まれるときには痛みを伴うもので、その期間はいうなれば”調整期間”であるとの事。
まさに自分はその段階にいるのだと思う。(と思って、自己完結的と慰める)
車を買ったのだが、やたらめったら金が掛かる。
駐車場、ナビの取り付け工賃、保険。一応はネットで調べたのだが、おそろしく必要経費が膨れ上がる。
単純に調査が足りなかった自分が悪いのだが、まじシャレにならん。
とにかく今変な話、身体を売る人の気持ちが解るような気がする。
ニーチェいわく「神は死んだ」。
善悪の判断は人間の妬みから生まれる。強弱、持ってるもの持たざるもの。その慰めのために神は創造される。
神とは、おのおのの在りたいと願う主軸である。
つまり逆を言えば、人の願望だけ神は存在し、どのような思想にも神は宿る。
そして神は、自己肯定である。
”調整期間”にいる人間は、変貌に変容に戸惑う。時には神を捏造し、たがの無い自己肯定に暴走する。
けれど、某SF小説は”調整期間”に対し「やなぎのように受け流そう。いいようになると思おう」と説く。
それは無抵体に思えるが、そこに神の捏造は無い。
反省も努力も必要だが、それが上手くいくためには気負わない心境、その基礎工事が必要なのかもと、今思った。
しょうけんどうおんかいくう どういっさいくうやく しゃーりーし。
空だ、空になるのだ、舎利子よ。