桐生操さんの「黒魔術白魔術」を読み返す。
桐生操さんの小説はネタと参考文献が
てんこもり なのは良いが、自分のように脳処理が非円滑な人間には物語の消化が難しい;
「黒魔術白魔術」は、黒魔術のみならず、秘密結社 や 錬金術 はては
のろわれたどうぐ まで紹介していく本である。
自分は他の「魔術」関連の本を読んだことが無いので内容の”濃さ”の比較は出来ないのだが、<魔方陣の書き方>や<呪殺の方法>など、カナリ具体的に書いてあって、関心する反面 ちとコワイ のだった。
さて、現代人の殆どが信じない「のろい」であるが、昔の人々はそれを信じていたらしい。
それを象徴するエピソードとして、エリザベス女王による「妖術・呪術禁止法」の制定が挙げられる。
本によると、中世のイギリスでは魔術が大流行。
イカンと思ったエリザベス女王は、それを
取り締まる法律をわざわざ制定したのだった。
1563年「妖術・呪術禁止法」。人を呪い殺そうとした者を絞首刑に処する為の法律である。
「のろい」というものが、科学的に人を殺せるかどうかは さておき、
「のろい」は人類の歴史上、
確固として存在していたのである。
ここで、「人を殺す為ののろい」について少し検証してみよう。
ヒトが「のろい」によって人を殺す為には、”呪いの儀式” を行う必要がある。
”呪いの儀式”にはイロイロな種類があるが、大きく分けて、「難しい術」と「簡単な術」の二通りがある。
「なんと間抜けな仕分け方。」と御思いかも知れないが、例えば「難しい術」は儀式の準備からして、困難を極める。
まず魔術師にとっておなじみの魔方陣、それを描くための材料を紹介しよう。
聖水、賢者の石、魔法の剣。 のっけからして常人には用意不可能なシロモノが並ぶ。
次に、子羊の皮か子供の皮膚で作ったヒモ、処刑された罪人の棺桶から入手したクギ4本。
人間のアブラで作ったロウソク、
人肉を食べさせられた黒猫の頭、血の中で溺死したコウモリ。
これらは”魔法の剣”よりは手に入れ易いが、コンプリートの為にはやはり常人には耐え難いストレスを強いられることだろう。
更に、少女と交接したヤギの角、親殺し人の頭蓋骨をプラスして
ようやく魔方陣の外周 が出来上がる。
魔術とは、実に困難なるものであることがお解かりいただけるであろう。
この後更に、長く難解な呪文を延々と唱える作業がまっている魔術士に、私は
「そうまでして魔術が欲しいのか? 人を殺したいならもっと別の方法があるのではないか?」
とあきれながらツッコミを入れていたが、どうやら「難しい術」を行う目的は「より強力な魔術」を得た「魔術士」になりたいのであって、「人を呪い殺す」事が可能となるのは、「強力になった魔術の副産物」のようなのである。
例えば先の魔方陣の件は、そもそもは「悪魔の召喚」が目的であった。
召喚と契約によって得た魔力で術者は、
結果として、人を呪い殺すことも可能となるのだ。
実は、「人を呪い殺す」だけならその方法はそれよりもっと簡単なのである。それが「簡単な術」だ。
「簡単な術」の例として<ロウ人形の儀式>を紹介しよう。
「簡単な術」の利点としては、儀式に必要な道具が「難しい術」より
カナリ手に入りやすい 点だろう。
例えば<ロウ人形の儀式>に必要な道具(魔具)は、
基本的には”ロウ”だけ。えらい差だ。
あればなお良いとされるのも、呪う相手の髪の毛が二・三本、爪や歯のかけら等。少し面識があれば、用意できないものではない。
更に、儀式の階梯も実に単純である。
対象に似せた、ロウ人形を用意する(好みにより、前挙の髪の毛等を埋め込む)。
決められた時間に、決められた数の釘や針を打ち込み、呪文を吐く。
呪文を暗唱できなければ人形に刻むことでもOK。たったこれだけで下ごしらえは完了し、仕上げにこの人形を対象の家に
ブン投げて儀式は完成する。もはや魔術というより嫌がらせのような気もするが、現に死んでる人も居るというのだからオソロシイ。
又、「難しい術」「簡単な術」においてこれ等<道具や儀式の困難さ>とは別に、もう一つ特徴がある。
「難しい術」は<儀式>のみで<呪い>すなわち<攻撃>が完了するのに対して、「簡単な術」は人形を投げつけるなどの<対象への影響>を以って初めて<攻撃>が完了する。
日本の代表呪殺「丑の刻参り」は、一説によると、不気味ないでたちで
対象の名を呼びながらわら人形をクギ穿つことによって、その不吉な光景を目撃した対象をノイローゼにすることで”
精神衰弱死”させるという、ある種の催眠術ではないかという。
「西洋黒魔術」における「簡単な術」もおそらくそうなのではないか。
では「難しい術」はどうか? 「難しい術」は儀式を完遂させること自体が実に困難である。更に、儀式は往々にして、暗い部屋、香の焚かれた部屋、乱交現場等、トリップしやすい環境で行われる。
ともすれば、「難しい術」に挑み「魔術士」となったかつての勇士は、極限状況における精神の変調をきたしていた可能性があるのではないか。
それはそして、結果として
、「常人」では無くなることだ。
本書では<魔女はホウキで空を飛ぶ>というあの有名なエピソードは、魔女が股に(ホウキに)幻覚剤を仕込んでいた為のトリップ・ヴィジョンではないかという説が紹介されている。
だがしかし、「魔術は幻覚である」という言葉は、日記の冒頭に紹介した「魔術が存在していた」という歴史にとって意味の無い言葉である。
幻だろうが霞だろうが狂気だろうが、人々の傍らには、「魔術」はたしかに具現化して、そこに在ったのである。
それは現代でも、例えば「悪魔への信仰」であれば、在るといえる。
アメリカ全土では300を超える悪魔集団・教会が存在し、その一つ、悪魔教会(1966~サンフランシスコ在)は世界13ヶ国に10万人以上の会員を持つのだそうだ。